いつものように今昔マップで古地図を眺めていると、加東市社町の山中の道路に、
「天狗の鼻」と書かれたΩ状のカーブがあるのを発見しました。
掲載されているのは1923年の地形図、今から101年前のものです。
拡大します。
現地は、加古川線社町駅から少し南に下った交差点を西へ曲がり、河岸段丘の登坂の途中にあります。
この道は、かつて姫路から社町を経由して篠山に至る街道であり、現在の国道372号に相当する旧街道と考えられます。
この坂道は、中学生時代から古い街道だろうと気になっていましたが、当時は足がちゃりしかなく、更に坂道なので、訪問したことはありませんでした。
今回、たまたは今昔マップでこの表記を見つけましたが、「天狗の鼻」って何でしょう?河岸段丘の坂道とはいえ、地形的に極端に険しいこともないはずですが、道路がΩカーブしています。勾配は緩いと思うのに、なぜこんなにカーブしているのか?何か避けるべき施設でもあったのか?また、古地図に名称が付記されるほどの名所なんでしょうか?
なお、現在の道は当然ながら真っすぐに改修されています。
■事前調査
ウェブで事前に情報収集します。
まずは国土変遷アーカイブで古い航空写真から。
戦後すぐ、1947年の写真。
既に道路が直線に改良されています。中央にうっすらとΩが見えるので、道の形が残っているようです。周囲は山林で何もありません。なお、この北側にある現在の国道372号はまだ築造されていません。この古い道は姫路方面から社や篠山へ向かう主要街道だったようです。
次に1961年の写真。
〇印がカーブの頂点です。1947年と変わってませんが、周囲の森林が伐採されているように見えます。
次に1974年の写真。
おおっ!なんだか派手に開発されています。天狗の鼻は開発団地のようになり、敷地が造成されているようにも見える。昭和49年の市街化調整区域になる直前にリゾート開発されたんでしょうか。これで完全に地形は変わってるだろうなあ。なお、上部右端には昭和49年ごろに開通した国道372号が見えています。
そして現在の写真。
・・・すべて森林に戻っています。結果がこれなら、旅人が行きかった古道をぶっ壊さずに、なにもいじらなくても良かったのでは。
次に文献を調査します。いつもの国立国会図書館デジタルコレクションで検索すると、兵庫県立社高校地歴部が1972年に出版した、青野原新田:その成り立ちと生活に、以下の記述を見つけました。
どうやら相当な古道ですね。しかも細い崖道とある。地形図から、そんなにがけ地とも思えないのですが、高低差2mもあれば崖にはなるでしょうが、しかしなぜΩカーブまでする必要があるのかわからない。間に強烈な窪地でもあったんでしょうか?
地籍測量がされているのか調査します。
このエリアは未調査のようです。古い里道の道型があるかと思ったけど、不明。法務局で字限図を調べないとわかりません。
このほかはウェブでも情報がありませんでした。加東市史や社町史を調べれば何か出てくるかもしれません。
■現地調査
ちゃり活を兼ねて現地調査します。
加古川右岸の旧道から西へ交差点を曲がります。
交差点には石製の道しるべがあり、右(西)ほっけ山、左(北)きよみつ寺?とあります。設置は天保11年(1840年)だそうです。
どちらも有名な寺院です。清水寺は、「ゆっくり走ろう播州時」ですね。播州ノスタルジーの最高峰です。
西へ向け、河岸段丘の坂を上ります。加古川へ至る新街道と交差。
チャリ慣れしてきたからか、そんなにきつい坂道とは思いませんでした。
1986年にピコ森と北側の372号の坂を下った時は、強烈だと思いましたが、あの時よりも体力あるかも?
10分もかからず現地に到着です。
チャリの後ろがΩカーブの下側起点です。といっても、1975年の航空写真の通り、大造成されているので崖道などは残っていません。
70mほど北へ上がったところがΩの上側起点です。この石垣手前が入口だったようです。一応舗装道らしきものがあります。
新道は真っすぐつながっています。途中に窪地などはありませんでした。
また、昭和40年代後半に造成されたであろう開発団地も全く見えません。
ここを100mほど北へ入った森の中で、ゴンベイとタロサクが取っ組み合いのけんかになったんでしょうね(笑)
カーブ最奥部はおそらく私有地なので立ちいりませんでした。(誰でも通れる付け替え里道かもしれませんが)立ち入っても完全に道は消滅していますし。今はウグイスなどの野鳥がさえずる静かな森に還っていました。
帰宅後、加東市教育委員会へ問い合わせたところ、「天狗の鼻がカーブしている理由は不明、ただし、当該道よりも更に南側の道に石仏等が多数あるので、そちらが最初期の街道と思われます」との丁寧な回答をいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。
結局、Ωカーブの理由は不明ですが、この道が近代の主要道であり、カーブの特徴から、地形図に名称が記載されるほどのスポットだったようです。また、ゴンベイとタロサクのケンカだけでなく、100年以上前に旅人や牛が曳く荷車などが、この位置で細い崖のΩカーブを行き交った姿が想像できました。
こんな身近な誰も注目しないスポットでも、深い歴史があり、それを自転車で探索するのはとても面白いです。次のネタ探しをしなければ!