人知れず消えていったトロッコなど、アヤシイ廃線情報には相当明るい方だと思ってますが、東岡山のデルタ線をウェブで調べていて、偶然下記の記事を発見しました。
なんと!片上鉄道の始発であった片上から、備前焼で有名な伊部の町まで、
レンガ運搬軌道があったそうです。
何度も訪れている伊部にこんな軌道があったとは・・・マニアックな鉄道の情報ばかり探している私でも知りませんでした。おそらく鉄道ファンなどの専門誌でも掲載されたことがないと思います。
この軌道は、耐火煉瓦メーカーである品川白煉瓦株式会社(現品川リフラクトリーズ株式会社)の岡山第1工場(現研究所)から、片上鉄道片上駅西にある同社の岡山第2工場まで煉瓦等を運搬するための専用軌道だったそうです。
詳細はリンク先HPを参照願いますが、設置は明治時代、廃止は昭和32年ごろ!(そんな近年まであったのか!)、延長距離は約3キロ、動力は当初人力から馬、そしてガソリン機関車に変遷していきました。
↑昭和31年地形図より
↑昭和22年航空写真より。確かに軌道のようなものが見える。
機関車が使用されていたとしても簡易なトロッコなので、痕跡は残っていないと思いますが気になって仕方ありません。早速現地調査に出向きます。
現地調査へ
ハイエースにチャリ2台を積んで、廃線跡などには全く興味がない奥さんを連れて訪問。
気温35度のクッソ暑い中、伊部駅前の無料駐車場から、tern2台で出発です。
まずは軌道の起点であった伊部のレンガ工場付近を調査します。
正門付近です。前面の道路は旧西国街道で、かつては国道2号の本線でした。
工場を出た軌道は国道を渡り、住宅間の路地を東へ曲がります。
当時の区画がブロック塀に囲まれて残っています。
軌道は東へ向かい、駅前通りを横切ります。
その後南へ方向を変え、現在の国道2号とJR赤穂線伊部駅構内(両方とも当時はない)を南下し、再び道路となって現れます。新国道2号のこの位置(撮影忘れ)。
駅南側は、この家屋(これも撮影忘れてた(;^_^A。おそらく当時も現存)の左手が軌道だったようです。
住宅街の中を南下していきます。
不老川の土手に出ます。軌道は土手上を東へ進みます。
ここには品川白煉瓦の社宅があったようで、現在は同社の寮に建て替わっています。この石組はなんでしょうか?軌道とは関係なさそう。
この辺りは列車交換設備と、牽引用の馬と馬牽き役の休憩所があったようです。
国道250号に突き当たる箇所で、軌道は右に折れて不老側沿いに進みます。
そして国道250号の南端を第2工場まで進んでいました。
対岸の道路が250号です。昭和11年に県道拡幅の際、軌道の付け替えをしたそうなので、川側にずらしたんでしょうね。
第2工場付近では、不老川の右岸側にある工場敷地へ渡る橋梁もあったようです。
河川改修されているため、当時の痕跡は全くありません。
なお、橋梁跡のそばある米穀店は当時と変わってないようです。
第2工場は完全に建て替えられており、軌道の面影はありません。
現地調査の結果は以上です。第1工場付近の路地や空き地、周囲の柵、側溝の蓋、道路の擁壁などに軌道の遺物がないか調べましたが、廃レールなどは見られませんでした。
机上調査編
続いて机上調査です。
昭和22年の航空写真に軌道敷が明確に写っています。
工場南の住宅街を抜けていきます。
現国道2号交差付近の拡大。
昭和22年航空写真と現在の公図を比較すると、ポイントしている地番(1669-4番地)は旧軌道敷と思われます。
こちらは品川白煉瓦の寮の東、交換設備と思われる箇所です。
昭和22年の航空写真では、線路式の幅が広くなり、
トロッコのような箱が並んでいるように見えます。
そして第1工場付近の拡大。
第1工場内から南へ不老川を渡り、南下する軌道もあります。
こちらは地形図にも掲載されています。
社史から
続いて、品川白煉瓦の100年史より、軌道に関係する写真を集めました。
肝心の顔が切れていますが、この軌道で使用されたと思われるガソリン機関車の写真です。
現在の第1工場付近の景色と並べてみます。
品川白煉瓦は全国に数か所の工場がありますが、他工場でナロー軌道の使用記録がないのと、背後が第1工場の山並みと似ているため、この軌道の機関車で間違いないと思います。
鋳鉄製台枠は製造社名の文字が入っています(酒井や加藤でない模様)。おそらく戦後の撮影、代燃機関車の時代でないでしょうか。
第1工場正門付近。正門を入った軌道は右に大きくカーブしていたようです。
こちらは建物の雰囲気より、第2工場でないかと思います。
なべトロが使用されています。
昭和12年関西道路調査会著 山陽道道路調査報告書より
こちらには、戦前の国道2号における鉄道交差リストがあります。
昭和10年当時の国道2号踏切リストであり、国鉄線やメジャーな私鉄線のほか、得体のしれない軌道も掲載されています。伊部町の欄に品川白煉瓦の材料運搬線の記載があります。
なかなか濃い資料ですねえ・・・・しかし戦前の台帳なので、記載以外にも多数色んな軌道との交差があったんじゃないかと思います。
しかし気になるのは、この軌道の軌間(線路の幅)です。800mmって、あまり見ないです。
下津井電鉄などの軽便鉄道や森林鉄道は762mm、国鉄・JR在来線は1076mmですが、800mmって珍しい。工場内軌道の500mmはまれに見ますが、私は初めて知りました。
なお、この軌道を知ったのは、国会図書館のウェブでこの文献を見つけたからです。
国会図書館デジタルコレクションは膨大な古い資料があり、自宅で閲覧できるので最高です!
一応、現時点で判明した事項は以上です。個人的にはかなり衝撃的でした。まだまだ知らざれる軌道があるものですね。しかし、山陽道道路調査報告書には、加古川寺家町にあったニッケトロッコ線の踏切が載っていないのが残念です。理由は、昭和2年に新国道が完成しているからですけどね。引き続き古い文献を知べタイと思います。
ちなみに、猛暑の中わけのわからないサイクリングに付き合わされた奥さんは、「暑すぎて頭くらくらする」と文句を言う気力もなさげでした(;^_^A