晴れた日曜日、奥さんが「どっか連れてけ」というので、
メジャーな観光地をご案内します。
インプレッサでサクッと現地に到着。
なかなかすごいですなあ。
奥さんは「別に興味ない」とか言うけど、建築技術者やろ!
古建築ぐらい興味持て!
なかなかよいお寺でした。しかし気温4度でクッソ寒い!
本題は別件です。
ここから歩いて南下し、国道2号を渡ります。
奥さんは「どこ行くんか?」オッサン「メジャーな観光地や」
正面にある小山。この周囲が目的地です。
西国街道を少し歩き、この左手の坂を上ります。
左手眼下には今日のホントの目的地?が見えてます。
10分ほどで山頂に到着。
この小さな山には戦前に食堂や映画館を有する大規模な遊園地がありました。
奥さんに「なんで遊園地があったかわかるか?ヒント、宝塚」と聞くと、
「んなもんわかるか、なんかむかつくんじゃ」とのこと。
石碑には昭和6年の文字。遊園地が現役だった時代のもの?
しかし、食堂や劇場の跡が全くないなあ。
小さな山なのですぐに下りれます。下にはD51が保存されています。
その前には謎の軌道敷が!いったいこれはなに?
さて、先ほど山から見下ろした住宅街へ向かいます。
見たかったのはこれです。
ここは、昭和9年に廃止された播電鉄道の鵤駅跡です。旅客誘致のため、隣接する太子山に播電が遊園地を設置したそうです。
この存在はかなり前から知ってましたが、やっと見に来ました。
鵤駅はピットを有する車庫があり、何でもない住宅地の畑に今でも整備ピットが残っています。
ピットのコンクリート天端には、レールが敷かれていたと思われる窪みがあります。
播電鉄道はレール間がJR在来線より広い広軌(1435mm)で、かつ電化されており、きわめて先進的な鉄道でした。
畑で作業していたおじいさんに聞くと、ここが駅跡で間違いないとのことでした。土に埋まっているピットの奥には昇降用の階段も残っているそうです。
奥さんに遊園地との関係性を説明すると納得しました。
しかし「メジャーな観光地でない」といいます。
いんや、これは非常に貴重な交通産業遺産です。
ピットを掘り出して保存すれば、かなりの観光名所となると思いますよ。
なお、東側の住宅擁壁は旧プラットホームのようです。
廃止が超古いからか、昭和22年の航空写真でもほとんど痕跡のない播電鉄道ですが、
鵤駅の配線はこのような感じだったと思われます。
なお、廃止13年後のこの写真でもほとんど痕跡が辿れません。
赤丸の建物は民間住宅ですが、現存しています。
現役時代の鵤駅とされる古写真。
奥に山並みが見えるので北向きですね。影の角度から、夕方の撮影と思われます。
列車交換ができる配線だったようです。
先ほどの車庫はこの左手になります。更に山側には変電所もあったようです。
しかし、戦前の播州のすごいド田舎(失礼)にこんな電車が走っていたなんて、
このギャップに驚きますわ。現在も残っていたらLRTになってたかも知れませんね。