自転車やラビットで散歩に出かけるのは、
自宅から南以外へ出かけることが多いです。
理由は、市内南部は市街地だし、車も多く道が狭いから。
けど、今日は南に行ってみます。
昭和59年に廃止された別府鉄道跡が整備されているので、
走りに行くことにしました。
中学生時代にピコ森と散々うろうろし、
レールがはがされただけのバラス道を爆走したこともあるゾーンですが、
大人になってから自転車で走るのは初めてです。
今日はtern vergeN8で出陣。
タイヤにエアを充填し整備は万全です。
旧山陽道で東へ向かいます。
道沿いに水路が流れ、古い屋敷が多くてなかなかの風情です。
土山駅前交差点に到着。
この駅前周辺も大概古い、交差点角の家屋も相当古かったけど、
数年前に解体されました。
その際、隣の建物の外壁が露出し、古い看板が出現しました。
なんて書いてるんかわからんけど、
これは相当古い、昭和30年代かな?
この建物は丸窓もついてるし、かつての旅館かもしれません。
踏切を渡り、であいのこみちに入ります。
2軸客車で有名な別府鉄道土山線跡です。
自転車も通行可能ですが、歩行者が多いので慎重にゆっくり走ります。
綺麗に整備された道を走り、喜瀬川を渡ります。
ここも相当変わりました。
昭和61年ごろはこんなでした。
さらに線路跡を走ると、川崎重工の工場があります。
かつて鉄道車両を製造していたため、敷地内には今も一部にレールが残っています。
数年前はもっとあった気がするんやけど、撤去されたんかな。
山陽電車をくぐり、別府港駅跡に到着。
次は野口線跡で北上します。
山陽電車を再びくぐります。
別府口駅跡。
昭和57年、小学4年の時に、ここから別府鉄道に乗ったことがあります。
貴重なレール残存部分。
円長寺駅跡。
低いホームに味のある掘っ立て小屋のええ感じの駅でした。
昭和61年の同地点の写真です。
既にすべての鉄道施設が撤去されていました。
カメラが故障でピンボケですみません。
再び踏切あと。
すぐそばに灯篭が立ってます。
鉄道現役時は渋い風景やったやろな。
そしてキハ2が保存されています。
最近再塗装されたようで綺麗な状態を保っています。
西川パン工場を過ぎると、別府川鉄橋です。
鉄道橋が歩道橋に転用されています。
右にカーブしたら高砂線接続駅の野口です。
今はモニュメントの車輪しかありませんが。
かつての野口駅に至る駅前メインストリートです。
駅前って言っても、田園の集落のはずれにある寂しい駅で、
駅前商店があるような感じではなかったようです。
この後、バイパス側道を通って帰りました。
健康維持のため何が何でも運動しないといけないので、
週3日は自転車に乗りたいと思ってます。
この後、夜にもナイトサイクリングをして、
今日は計30キロを走りました。