レオの趣味生活

ラビット乗りのお父さんです、1日5分は趣味を!

夜久野高原の廃軌道

私は鉄ヲタですが、
その中でも特段マニアックなジャンルであるトロッコが大好きです。
かつて日本全国に存在したトロッコ軌道跡を追って
日々うろついていますが、
その一部を別ブログにアップしていました。
今後ここに整理して再掲載したいと思います。

 

以下は2006年に調査した京都府夜久野町のトロッコ跡です。
兵庫の怪しいものといいながらいきなり京都府ですが、
その辺はご勘弁を。
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夜久野高原は、京都府福知山市の西部にあり、
火山噴火に伴う溶岩がかたまってできた高原だ。
名物の「夜久野そば」や、「夜久野温泉」などの観光スポットでも有名である。
この夜久野高原で、以前謎の廃軌道を目撃したと言う情報がもたらされた。

 

それは、某巨大掲示板の軽便鉄道スレッドに書き込まれており、
「JR山陰線と国道9号線が交差する付近に謎の廃軌道があった」との情報であった。
ただし、20年ほど前の話のようで、現在はどうなっているのかわからないそうだ。
現地の写真も添付されており、確かにか細い2条のレールが土に埋もれかけている。

 

夜久野高原は廃ドライブインが点在していたり、
玄武岩による柱状節理の不気味な崖があったりして、
以前から何となく怪しい雰囲気があるとは思っていたが、ここに軌道があったとは初耳だ。
いつからいつまで使用され、どこが起点と終点で、
何を運搬していたのか?
軌道の痕跡は今でも残っているのか?
ちょうど冬枯れの時期で調査もしやすいと思い、早速車を走らせる。

 

夜久野ドライブインを過ぎ、高原を降りる坂を下ると、山陰線をアンダークロスする。
線路をくぐってすぐに左折すると、田んぼの中に育英小学校のプールがある。。
ここから高原斜面に向かって上り坂の里道があり、
山陰線を踏み切りでパスしているのが見える。
この斜面の途中に廃軌道があるらしい。

 



 

↑現場周辺の地形図。この赤線部分付近に軌道があるらしい

 



 

↑現場周辺の空中写真(昭和50年撮影)。軌道の位置は特定できない。

 

里道下の広場に車を止める。

 



 

広場の周囲には、切り出されたと思われる石が放置されている。
この近辺特産の玄武岩だろうか?

 

雪の残る里道を徒歩で上がる。道路面はコンクリートで舗装されているようだ。
足跡があるが、農作業者のものだろうか?上部に民家があるようには見えない。
高原部に畑などがあるのかも知れない。

 

踏み切りは無人踏切だった。

 



 

ここは有名撮影ポイントらしいが、確かに列車の撮影に最適だ。
出雲廃止で同列車通過時には賑わっているのだろうか?
山陰線の山側はコンクリート擁壁があるが、その上部に何箇所か石垣が見える。
かなり古いもののようだ。
心なしか、細長い平坦部分が斜面に続いているように見えるが、
枯れ木に覆われてよくわからない。
とりあえず里道を登ることにした。

 



 

掲示板によればかなりの藪こぎとのことだったので、
いやだなーと思いながら坂を上ると、里道踏面を横切る不審な横棒が見えた。
「!?!?!?」とハアハアしながら近づくと、「れ、れ、レールだーーーー!!!」

 



 



 

軌道は、20年前の写真と殆ど変わらない状態で、確かに存在していた。

 

興奮冷めやらない状態で早速調査を始める。
なんと言っても謎の廃軌道が実在しているのだ。
容易に人間が到達できない深山の森林軌道跡でなく、
こんな人里近いところに廃軌道が放置されているとは驚きだ。
しかも山陰線撮影スポットそばにありながら、全く知られていないとは。

 

どうやら軌道は里道と踏み切りで交差していたらしい。
軌間は510mm、レールは6キロレールだ。

 



 



 

枕木は腐っているのか、土に埋もれて見えない。
一部レールが掘り出されており、その部分の土がまだ乾いていなかった。
どうやら数時間前にも誰かが調査に来たようである。掲示板を見た人だろう。
踏み切り以外の部分は藪に突入しているが、そこにもレールが残っているようだ。
比較的藪の薄い北側に突入してみる。

 



 

しかし、10メートルほど行ったところでレールは切れていた。
どうやら斜面の崩落があったようで、レールも撤去したらしい。
片側のレールはガスで切られたような断面だった。
そのさらに北へレールが続いていたと思われるが、
かなりの急斜面をパスしないと近づけない状態だ。

 

南側は相当な藪で、多数の落石があり踏破不能だった。
しかし、下の斜面から見上げると部分的にレールが見えている。





 

軌道は廃止後そのまま放置されているようだ。

 

せっかくなので、里道の坂を上まで上ってみる。
最上部まで行くと、古墳跡の看板が立っていた。
看板の解説によれば、ここは「おおかみ塚古墳」跡らしい。

 



 

さらに他にも数箇所古墳が点在したらしいが、
「採石により消滅した」との記述がある。ひょっとすると石材運搬軌道か?

 

坂を下り、斜面を遠方から眺めてみる。
軌道は踏み切りより南側に進み、途中の数箇所でレールが見えている。
その後100mほどの地点で高原の斜面が大きくえぐられているようだ。
ここに石切り場があったのではないか?
良く斜面を観察すると、そのえぐれた部分のまっすぐ下の山陰線そばに
石垣で作られた巨大な基礎(索道の盤台?)のような部分がある。
また、そこからも水平に石垣が北方向へ伸びている。
斜面に、上部の軌道と下部の通路(軌道?)2本がはりついた状態だ。

 



 
簡単な現地配置図を作成してみた。スキャナーを出すのが面倒なので、
デジカメ撮影で申し訳ない。

 



 
これは、付近の立面図である。記憶で作成しているので多少の錯誤はある。

 



 
軌道周辺の高内集落は、かつて石材業で栄えたらしいが、
それに関係した軌道の可能性が高い。
ゲージが510mmであり、手押し軌道だったのではないか?
また、1956年に教育委員会が古墳調査に入っており、
それ以前に石切が行われ、軌道が使用されていたと思われる。
しかしこの軌道がどこから始まりどこまで到達していたのかは不明だ。
村人に聞き込みを行おうとしたが、農作業の人もおらず話を聞けなかった。
上夜久野駅付近で雪かきをしていた住民に聞いたが、軌道のことは知らないようだった。
山陰線沿いにかなり北方まで斜面に水平地が見えるので、
そこまで軌道があったと考えられるが、上夜久野駅までは到達していなかったようである。

 



 



 
いずれにしてもかなり古い軌道と思われるが、2006年の現在までレールが残っており、
容易に現地へ到達できることは驚きであった。現役当時は山陰線車窓からも見えただろう。
また、蒸気機関車撮影ポイントでもあるはずなので、この軌道を知っている人は多いのではないかと思う。