レオの趣味生活

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宝殿・加古川の日本毛織専用線(宝殿線②)

それでは、宝殿線の現況をレポートします。
といっても写真は2005年3月27日に撮影したものです。
多分現在も変わってないと思います。

 

専用線貨物ホームは、宝殿駅下りホーム南の神戸側にありました。
そこから山陽本線南側に沿ってニッケ印南工場まで
至っていました。
現在は貨物ホームもろとも全区間道路化されています。
遺構は近年まで残っていましたが、ほぼ消滅してしまいました。

 

現在の貨物ホーム跡付近の写真です。

 



 



 

現役時には機回しもできる2線行き止まりの配線があり、
ホーム上には倉庫が2棟建っていました。
ホーム上の差しかけ下には謎のボロボロの段ボール箱が
積まれたまま放置されていました。
その南は大きな日通の営業所でした。

 

ホーム内も含め、線路跡は軌道を撤去しただけで完全に放置されており、
草ぼうぼうの激ヤブ化していました。
尚、川西小学校真北付近までの区間は、
昭和の終わりごろまで道路化されず放置されていました。

 

これらの駅施設は近年までそのままで放置されていましたが、
平成12年ごろに全て解体され、跡地には高層マンションが建っています。

 

国鉄線からの分岐はホーム東端よりさらに東の水路付近で行われていたようです。
2005年当時には渡り線の水路の桁が残存していました。

 



 

国鉄線からあり得ない角度で分岐しているので、
専用線用なのは間違いないと思われます。
多分今も残っていると思われます。

 

水路側壁はコンクリート製で、
ニッケ関連なら煉瓦造では?とも思われますが、
この専用線の他の水路橋部分もコンクリート製だったのを
目撃しているので、当時からのものと思われます。

 

県道高砂北条線は踏切でクロスしていました。
県道が高架化される以前は、
周囲は荒涼とした荒れ地のような状況でした。

 

それより東の線路跡も、昭和59年ごろに道路化されるまでは、
荒れ地で放置されていました。

 



 

途中、何箇所か水路を渡る個所には、
コンクリート製の橋台が放置されていました。

 

川西小学校真北より少し西の付近からは、
昭和56年の段階で既に道路化されていました。
なぜかぼっこぼこのアスファルト舗装で、
山陽本線と道路とのガードレール?が
ぶっとい鉄骨製の低いものでした。

 

2005年の工場進入口前です。

 



 

現役時はゲートなどあったのでしょうか?

 

下は、昭和62年のニッケ進入口付近を走る58系急行です。
手前のアスファルトが専用線跡です。

 



 

ここから工場内に入りますが、
昭和56年ごろの時点で、
場内の軌道はもちろんその他鉄道施設は既に無くなっていました。ただ、
プラットホームの上屋のようなものは存在していました。

 

山陽本線に沿って結構長い距離(約1.8キロ)の路線だったので、
結構目立っていたと思うのですが、
どなたか現役時の写真を撮ってないですかね?