国鉄鍛冶屋線は、加古川線の野村から鍛冶屋に至る
ローカル線で、1990年の3月に廃止されました。
この線は、私の実家がある高砂市にあった高砂線よりも思い入れのある路線でした。
一番最初に乗ったのは、1982(昭和57)年で、私が10歳の時です。
確かこの日は母が「列車に乗りに行こう」と言い、
妹と3人で鍛冶屋まで言った記憶があります。
既にキハユニ15は消えていましたが、
キハ20に乗って、鍛冶屋駅の長い引き上げ線を見て、
非常に楽しかった記憶があります。
その後、何度か同線に乗りましたが、
高校1年だった1988年の3月31日の夜、
国鉄最終日に乗りに行ったのもこの路線でした。
この日は夜7時ごろに加古川から鍛冶屋行きに乗車しました。
乗った車両はキハ20 521で、厄神駅で突然エンストし急停車するという
イベントもありました。
国鉄最終日、1988年3月31日の鍛冶屋線加古川行最終列車です。
特にマニアもおらず、夜の窓口で入場券を買って折り返しの列車に乗り込みました。
その後、とうとう廃止がアナウンスされ、
大学入学直前の90年の3月中旬に乗車したのが最後となりました。
現在廃線跡は遊歩道等に転用され、鍛冶屋、市原の駅跡は記念館になっています。
結構大きな駅だった西脇は道路とホテルに変貌し、
以前の面影は全くなくなりました。
前置きが長くなりましたが、私の鉄道趣味上外せない路線です。
今日は天気がいいようなので、スキーに行こうかと思ってましたが
家族で鍛冶屋線跡ポタリングに出かけることにしました。
更にアクティブな義母も飛び入り参加することになりました。
鉄道路線は当然ながら緩勾配なので、沿線をポタリングするのは最適です。
特に廃線跡が整備されていると、非常に走りやすいです。
今日は鍛冶屋から西脇市駅(旧野村駅)まで走ることにします。
基本下り勾配です。
義母参加のため、2台で現地まで向かい、
義母のBMを西脇市駅南の有料駐車場に止めます。
そして全員がカングーに乗り、
鍛冶屋まで向かいます。
鍛冶屋では、多可町中央公園の駐車場にカングーを止めさせてもらいました。
自転車5台を降ろし出発です。
天気は南寄りの風で、気温は7度ぐらい、めっちゃ寒くもないけど
汗もかかないです。
2月なので一応耐寒装備で行きます。
田舎道のそばにはきれいな水路がちょろちょろ流れて気持ちいいです。
すぐに廃線跡に入り、とりあえず鍛冶屋駅を目指します。
鍛冶屋駅のキハ30 69です。
この車両にも乗ったことがあると思います。
鍛冶屋はよく来た駅で、播州の最果て感があり大好きな駅でした。
休憩後、南下を始めます。
廃線跡遊歩道を通らずに、旧街道を走ることにしました。
車は非常に少なく走りやすい道です。
沿道の建物も昭和レトロで好ましい。
しかし、道路沿いに水路があるので、長男がはまらないかドキドキです。
途中にある鶏肉屋?
加美地鶏を売ってるんでしょうか?
この雰囲気、タダモノではない。非常に気になる。
東へ向きを変え、田園の中を爆走します。
ちなみに曽我井駅跡付近です。
1990年はこんな感じでした。
羽安駅後に到着。
かつては木造駅舎があり、そのそばに手漕ぎの井戸もありました。
コンパクトながらまとまった形のええ駅で、大好きな駅舎でした。
追い風でぐんぐん進みます。
途中にある駄菓子屋に寄ります。
西湖堂のパンか、懐かしいな。
播州地方特有です。サンテレビでCMしてましたわ。
想像以上に品ぞろえが豊富で、子供らに金額を決めて自分でお菓子を選ばせます。
しかしこの感じすばらしいなあ。
コンビニやスーパーが全盛になり、個人商店は非常に貴重となりました。
いつまでも頑張ってほしいです。
そして、市原、西脇と過ぎ、西脇独特ののこぎり屋根の織物工場を見て、
約2時間で西脇市駅に到着しました。
ここで自転車を駐車場に地球ロックし、
義母のBMに全員乗車してカングーを回収に行きました。
義母が参加してくれなかったら私がバスでカングー回収に行くしかなかったので、
助かりました。
本日のルートです。
全区間追い風、登坂なしすべて緩い下り勾配、走行距離は約15キロです。
廃線跡は整備済で非常に走りやすかったです。
子供らも楽しかったようで、おやじにも楽しいポタリングとなりました。