今日は長女の大学推薦入試の日です。朝一番で駅へ送りだしました。緊張せずにがんばれ!
おやじはチャリ旅に出ます。ハイエースにP10を積んで、いつもの公園から出発。
11月中旬の緩い日差しが心地いいです。柿の実は取り時。
北条鉄道長駅。この駅を起点に長旅に出る人はもう少ないでしょうが、旅情はあります。
昭和60年が中学生だったオヤジには、駅の旅情と言えばこの辺のイメージが。
長駅前にある長石製の倉庫。腰下が石なので腐ることはありません。
戦前の建築と思ってたら、詰めがモルタルなので、戦後の建築かも。
善防山を望みながら東へ。
田園の中に現れる古い神社。
東へ走っていたら、グーグルマップで以前から気になっていた怪しい道の入り口に着きました。こっちに入ってみます。このエリアは人家が全くありません。
畦道がグネグネと続きます。
無人地帯を抜けると田園集落でした。更に南下して、鶉野飛行場跡を横断。
国道372号付近まで来ると、道路わきに石碑を見つけました。
右法華口、左田原とあります。どうやらこの道も古道らしい。
もう1本あります。こちらは右ほう志やう。享和2年建立、1802年だそうです。当時の歩きの旅人がこれを目印にしたのかな。
11時半です。そろそろ昼飯です。どこにするかな?ドライブイン湖城は日曜日休み。近くにラーメンの晩翠がありました。以前から存在を知っていましたが、入ったことはありません。ちょうど開いているようなので、行って見ましょう。
客は私だけですが、居心地は悪くないです。カウンターに着席。
メニューを確認。ラーメンが500円?
や、安い・・・
チャーハンセットが食いたかったが、オヤジさんが「ランチあるで」というので、断り切れずにそれにしました。
10分ほどで料理が来ました。ランチは濃い口ラーメン、から揚げ、とんかつ、そしてライスです。
早速いただきます。播州ラーメンほど甘くない、揚げ物も揚げたてで熱々。いい意味で普通においしかったです。おやじさんの愛想も良かったですよ。「またよろしくお願いします」と言ってくれました。
ラーメンに満足して、黒焦げ学生を見ながら進みます。
国道372号に沿って走り、唱和のドライブイン湖城へ。今日は休みです。
屋外型便所が、便所が、昭和によくあった溝流れ式で、懐かしすぎる・・・
現代では絶対にありえない、昭和の猥雑な感じがたまらなく懐かしい。
湖城の先で左に折れて、ここから再び無人地帯を走ります。
半径数キロは人家がない。いつ変なオッサンやイノシシなどが出てきてもおかしくないい緊張感が伴う。頼れる奴は折りたたみ自転車だけという不安感が最高にテンション高まります。
たらたら走って、青野ヶ原捕虜収容所跡地に到着。
ここは第1次世界大戦時に捕虜を収容していた施設がありました。
こんな田舎に世界規模の施設があったことに驚きます。
地元の方が資料を展示してくださってます。
当時の兵舎のアクソメ図です。なるほど、こうなっていたのか。
貴重な当時の建物が残っています。風呂場跡だそうです。
内部の見学もできます。
モルタル製の浴槽。100年以上前のもの。
地元の方の努力で貴重な施設が保存されています。非常に参考になりました。ありがとうございます。少ないながらも募金させていただきました。
こちらも当時の井戸らしい。
近場ながらなかなか見れなかった収容所跡を見れて満足です。更に進み、かつて北条と社を結んだ街道を流します。
新道が開通していますが、一部に古いままの道が残っています。ここは道幅2m、石造と土蔵の納屋が並んでいる区間。
ん-、建物の味わいがありすぎ・・・
パン屋さんの森庵付近から北上し、コスモス畑で撮影。
その向こうには、以前から気になっていた宿泊施設があります。
建物めっちゃかっこいいやん。
黒ガルバの屋根に平屋、やるなあ。
こっちの建物も究極のスケルトン建築です。壁量なし!
ここから西へ移動。そろそろ帰らないとやばい。
北条の街に向かって旧道を走っていくと、ブリキ看板建築を発見。これは何?バス停跡?ゴミ捨て場?
いつの時代の看板なのか?昭和40年代以前は間違いないと思う。
既に現存しない店ばかり?
なかなかカオスな建築物でした(^^♪
ここから、有名なさたに食堂を見て、ミニ峠を越えて北条へ向かいます。
佐谷の集落にある廃織物工場。
あっという間にミニ峠を越え、北条側へ降りてきました。
日立のブリキ看板。良く残ってますね。
焦りながらハイエースに戻りました。15時までには帰宅しないと、えらいことになります。
こういう時間がない時に折りたたみはいい訳ですよ。車に載せるのに1分で済みますから。速攻で折って荷台に格納。
今日は40kmほど走りました。加西市の集落内にはまだまだ面白いものがありそうです。
引き続き探索していきたいと負います。