以前から気になっていた、JR東岡山駅北にあるデルタ線跡らしき痕跡を確認してきました。
このデルタ線は、昭和22年の航空写真に写っています。
どうやら造成だけされたようで、実際にレールが敷かれたことはないようです。
各種文献等を当たりましたが、設置された理由はわかりませんでした。
戦時中に工事されたいうことは、防空上の機関車退避場所だったのかもしれません。
同様のデルタ線は山陽本線英賀保駅にもあったそうです。また、デルタ線ではありませんが米原駅付近の山には機関車避難用のトンネルもあったようですね。
鍾乳洞?いえ、機関車の「防空壕」なんです 新幹線駅の近くの山に残る二つの穴|まいどなニュース
航空写真を追っていくと、昭和50年ごろには県立聾学校の建設や、付近の団地造成等により、痕跡が消滅しています。
それでは現地調査です。
デルタ線の東側、山すそにある古い道を登っていきます。
この左下はヤード(予定地?)だったはずです。
見ての通り、草ボーボー、木が生えまくりです。向こうに見えているのは県立聾学校です。
こちらはヤード終点付近です。現在はブドウ畑のようです。
この区間、数本の線路が敷かれる予定だったはず。
振り返ります。あの石積みは関係あるのかなあ??
北から南を望みます。右手は聾学校敷地、左がヤード予定地です。
何もわかりません(;^_^A
線路跡地(予定地)は聾学校のグラウンドに取り込まれました。
さらに西側にも軌道跡があたようですが、完全に住宅地となっています。
水路跡などの橋台も残ってないようです。そもそも築造されていない感じですね。
唯一の痕跡、新幹線北の住宅の敷地が、当時の軌道敷に沿って区割りされています。
真ん中のコンクリート擁壁のようなものが軌道境界です。
上空からみるとよくわかります。
戦時中は日本全国で秘密裏に建設された鉄道がかなりあったようです。
以前レポートした山陽線御着から分岐していた白濱鉄道や、岡山県北長瀬駅から出ていた路線などもそうだと思われます。
廃線跡趣味は、宮脇俊三さん著「廃線跡を歩く」でかなりメジャーな趣味となりましたが、軍用線はウェブや文献でもほとんど情報がなく、謎に包まれた路線です。性質上機密だったことも理由と思われます。あなたの街にも知られざる廃線跡はあるかもしれませんよ。