レオの趣味生活 加古川ガレージ日誌

折りたたみ自転車の散歩がメインです(^^♪

鉱山集落明延の街

Birdmanで食事をした後はインプレッサで夫婦ドライブです。

普段貨物車ばっか乗ってるんで、乗用車で走るのが新鮮です(-_-;)

波賀町で買いものをするために国道29号で北へ向かいました。

 

波賀町のコープ跡に到着。

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いつの間にかコープは閉店しています。

用事は隣にあるニコニコマートです。

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ここで売っている森林鉄道の本を買いに来ました。

波賀げんきづくりネットワーク協議会刊行の

波賀森林鉄道物語です。

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波賀町の林鉄跡は近場だけあって、

90年代後半によく訪れました。

山の中でトロッコの車輪を掘り出して喜ぶ私。

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何気なくピコ森が歩いてるのは林鉄跡のPC製橋げた。

下は高さ10m以上の谷!橋げたは苔でヌルヌル!!

こう見えて熊が出てくるすんごい山の中です。

 

今回購入した本の価格は1冊1,000円。

店に張っていたチラシに「高いけど価値あります」と

書いてましたが、確かに始めてみる写真も多く、

林鉄マニアは買う価値はあると思います。

なお、我が家は宍粟市のヤマヒロで建てましたが、

宍粟産の杉でできているので、

もしかしたら我が家の木材は、苗木の時にトロッコで運ばれたのかも知れません。

www.yamahiro.org

 

ニコニコマートを出て、音水湖畔のワインディングです。

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雨が降ってきました。

 

若杉峠から大屋を経由し明延に到着しました。

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明延は、かつて日本一の錫鉱山と言われた町で、

最盛期は4000人近くが住んでいました。

www.yabu-kankou.jp

私にとっては、学生時代の1993年秋に、

卒論の集落調査で何度も訪れたので、

特別な思い入れがある町です。

当時は、昭和62年の鉱山閉山から6年が経過しており、

鉱山住宅はほぼ解体されていましたが、

集落の最も北部にある北星住宅は、市営住宅化されて健在でした。

 

この時、たまたま住宅内を歩いていて、

声を掛けられたのが、ここに住んでいたIさんご夫婦でした。

Iさんの奥さんは神戸市須磨区一ノ谷のご出身で、

ご主人が明延出身で鉱山で働いていたとのことでした。

私の祖父母とほぼ同世代で、祖父母の家も新長田だったので、

須磨・長田のことを懐かしがってくれ、非常に親近感がありました。

Iさんご夫婦には、明延の話から、現地の案内、

しかも山の中の知られざる鉱山施設まで!案内していただき、

大変お世話になった上に、夜のIさん宅におじゃまし、

晩御飯までご馳走になりました。

当時でご主人が75歳、奥さんが72歳とおっしゃってたので、

ご健在なら100歳以上になられてるはずです。

 

今は北星住宅は無人になりましたが、

Iさんご夫婦がお元気ならもう一度お会いしてお礼を言いたいです。

 

以下、1993年11月15日に撮影した写真。

夕日に照らされる北星住宅。

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これは翌日かな?曇っています。

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東山社宅の焼却炉跡から。

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社宅内通路から。当時は現在よりもう1棟残っていました。

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私が作図した北星住宅の図面。

方眼紙は現地で描いたフィールドノートより。

以下の図面はすべて私作成。f:id:rabbits301:20210919230316j:plain

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まだ学生だったので、柱芯で採寸していないなど未熟な点多数。

高さ方向は目測。

 

北星住宅は昭和11年建築、1993年当時は5棟が残存し、

8世帯が居住していた。

閉山後、市営住宅となり、2戸を1戸に改造し風呂を設置。

それまでは明延川向かいにある共同浴場を使用していた。

浴槽は20人程度入れるものだったそう。

 

調査時にいただいた昭和31年当時の北星住宅の地図。

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閉山後の1990年ごろと思われる北星周辺の地図。

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明延には北星住宅のほか、

旭山や東山地区などに多数の社宅が立ち並んでいたが、

閉山後に解体され、93年時点で既に大半の社宅が消滅していた。

 

 

北星住宅前にあった集会所。

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もとは鉱山関係の社宅管理用詰所だった。

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閉山時に解体予定だったが、住民の請願で会社より譲り受け、

集会所に使用していた。

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この北立面図は間違っている。正しい立面は以下のとおり。

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閉山後は葬式に使用されることが多かった。

他の社宅にも同様の詰所があったと思われるが、私が訪れたときに残っていたのはここだけだった。残念ながら平成一桁代に解体されたようだ。

集会所右下の明延川沿いには共同水場があった。

当時は水場の屋根が残っていた。

 

そして、これから28年後の2021年9月18日の現地。

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北星住宅は、近代化産業遺産に認定された。

 

給油所は今でも一応現役のようだ。

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集会所は解体され、河川ののり面に戻った。f:id:rabbits301:20210919232431j:plain

 

Iさん宅、上部に8棟あるプレコン住宅も含め、

すべて無人となった。

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明延の街は、あの時よりも更に建物解体が進んでいました。

これも時の流れかと思います。

 

唯一後悔している点、

Iさんご夫婦と一緒に写真を撮るべきでした。

しかし、あの当時に明延の街の記録が出来たことと、

そしてIさんにお会いできたことが何よりよかったと思います。

 

インプレッサレポートのつもりが、

明延の回想になってしまいました。

明延ネタは図面も含め、ほかにもあるので、

気が向いたらアップしていきます。