古いネガ写真やプリントをデジタル化していますが、
電子化しただけで安心してしまいなかなか整理できていません(;^ω^)
そんな中から、別府鉄道廃止後の写真を。
別府鉄道が廃止されたのは1984年1月です。
その2年後、廃線跡がどうなっているかの確認のため、
ピコ森とちゃりんこで回りました。
おそらく1986年の3月ごろと思われます。
何分カメラの調子が悪く、ピントが甘いのはご容赦願います。
こちらは円長寺駅跡。
素朴なホームと待合所があったはずですが、
既にすべて撤去されています。
これは坂井駅跡から北を望んでいます。
奥に明姫幹線、左にスポーツアルペンが見えています。
何もない田んぼの中にプラット―ホームと待合だけの
駅でした。
車庫があった別府港駅跡です。
別府線・野口線のジャンクションで、最も大きな駅でしたが、
この時点でホーム以外すべて撤去されていました。
ただの荒れ地になっており、以前の面影は一切なくなっていますが、
これが放置されていました。
木製の「べふこう」駅名板と、無人踏切の標識(手前に寝転がっている)です。
ずいぶんひどい扱いです。
この周囲の茂みには、メガネのようなものがあったので、
何かと思うと腕木式信号機が倒れていました。
その後、別府線へ移動します。
喜瀬川橋梁跡です。
ここは低い橋脚が複数あったはずですが、
すでにすべて撤去されていました。
このように廃止後すぐに施設撤去されたので、
ほとんど面影は残っておらず、非常に残念だった記憶があります。
この後、土山駅に寄って、帰りに東加古川の
ニチイにあった模型店スリーバンブーに立ち寄り
家に帰りました。