レオの趣味生活

ラビット乗りのお父さんです、1日5分は趣味を!

宝殿・加古川の日本毛織専用線(トロッコ線①)

ニッケ専用線の中でも特筆すべきは
ニッケ加古川工場と印南工場を結んでいた
トロッコ線でしょう。

 



 



 

航空写真は1947年のもので、
山陽線南で加古川を渡る橋がトロッコ線です。

 

企業専用トロッコとしては目を見張る規模であり、
一級河川加古川を複線軌道の鉄橋で渡る壮観なものでした。
大正時代から昭和前半の約40年間にわたって
使用されました。

 

加古川を渡るトロッコの列・・・
加古川の近代産業を語る上でも、ニッケの企業力を
象徴するのに欠かせない施設だっとと思われますが、
大きく取り上げられることは全くなかったようです。

 

軌道の設置は大正8年、印南工場の完成と同時に
敷設されたようです。
昭和30年頃には既に使われておらず用途廃止されていたようで、
昭和40年ごろに鉄橋が撤去されたようです。

 

軌間は不明ですが、600mm程度と思われます。

 

路線は、加古川工場の加古川土手べりの工場から出て、
加古川を渡り、西岸から右へカーブして山陽本線に沿い、
船頭集落を抜ける道路をオーバークロスし、
印南工場内に至っていたようです。
尚、橋上は複線ですので、橋上以外の区間も全て複線だったと思われます。

 

1947年の航空写真の加古川工場拡大です。

 



 

加古川を渡ると、場内に入ってから少し右に寄って、
昨年まで残っていた煉瓦工場沿いに敷かれていたようです。
軌道の高さは加古川の土手と同レベルにあり、
工場内の地盤は当然低いので、
トロッコを上げ下げするリフトなどがあったのでしょうか?

 

こちらは印南工場内の終端付近の拡大です。

 



 

山陽本線に沿って西進した軌道は、
途中で左にカーブして終わっているように見えます。
印南工場内にも軌道があり、
トロッコは共用していたそうなので、
こちらもトロッコを上げ下げするリフト等があったと思われます。

 

印南工場内には宝殿からの引込線があったはずなので
トロッコ側がオーバークロスしていたのでしょうか?
写真では平面交差のようにも見えます。

 

また、この付近の山陽本線の線路と併走していた区間は
土盛り上に軌道が敷設されていたようですが、
山陽線よりもっと低いレベルまで降りていたかも知れません。

 

ニッケ60年誌にこのトロッコの記載はなく、
同100年誌には若干の記述があります。
ただし添付の工場配置図には記載がありませんので
詳細な配線は謎です。

 

尚、加古川西岸を渡った地点から船頭集落内の道路までは
山陽本線と一体の築堤上に敷設されていました。

 

動力は、電気によるワイヤー駆動で、
おそらく両側終端にワイヤー巻き上げ機があったと思われます。
トロッコはこのワイヤーに引っかけて移動させていました。
スキーリフトのトロッコ版です。

 

運搬していたのは主に石炭だったそうですが、
石炭なら宝殿駅からの専用線で運べばよい筈なので、
いまいちよくわかりません。
おそらく工場内の製品運搬が主だったのではないでしょうか。

 

この軌道については、
子供のころから「ひょっとして廃線跡?」とは
思っていましたが、
長い間資料がなく、なかなか確証が得られませんでした。
私は地元の小、中学校出身ですが、
学校で使う郷土史の史料にニッケ工場の記述があっても、
専用トロッコの記載は一切ありませんでした。
まさかナローのトロッコとは思ってなかったので、
この事実を知った時は大変驚愕しました。
もっと早く知っていれば遺構を詳細に調査したのに、
と残念に思っています。

 

なお、このトロッコ線の遺構は比較的近年まで残っていましたが、
山陽本線の加古川橋梁架け替えと、
ニッケ加古川工場の全解体により、
往時を偲ぶものは消え去ってしまいました。
また、当時の写真はウェブで
「ニッケ トロッコ橋」で検索していただくとご覧になれます。

 

次回はかつて目撃した遺構について報告します。