私が小学5年だった昭和58年に、ツレと記録したノートです。
中身は、なんとホーロー看板集。
私が、夏休みの工作のジオラマに「ボンカレー」の看板を張りつけて提出したところ、
ツレのO-野に「古い看板ってなんかあやしいな」と言われ、
我々の看板探しが始まりました。
ツレのO-野に「古い看板ってなんかあやしいな」と言われ、
我々の看板探しが始まりました。
山陽線宝殿~新長田間(良く乗ってた)の沿線や、
実家近くで探し集めました。
実家近くで探し集めました。
当時カメラを持ち歩かせてもらえなかったので、
自転車で路地を徘徊し、
看板を発見する都度にスケッチしていました。
まだホーロー看板の希少性が世間に認知されてなくて、
ゴミ同然の扱いでした。
自転車で路地を徘徊し、
看板を発見する都度にスケッチしていました。
まだホーロー看板の希少性が世間に認知されてなくて、
ゴミ同然の扱いでした。
この時解体現場でもらったオロCの看板は、
今でも実家ガレージにあります。
今でも実家ガレージにあります。
ノート内にはごく一部の現場の写真や、
加古川高砂ホーロー看板マップも掲載していますが、
ほぼ全ての現場が消滅しました。
このノートを購入した小学校前の
雑貨屋さえも消えて久しいです。
加古川高砂ホーロー看板マップも掲載していますが、
ほぼ全ての現場が消滅しました。
このノートを購入した小学校前の
雑貨屋さえも消えて久しいです。
もう、田舎の木造家屋+ホーロー看板の味わい深い景色は
見れないのでしょうね。
見れないのでしょうね。